ラムネグから一言:寝る前に読むとくだらなすぎて逆に寝れると好評なすごい適当なブログをこっちではじめてます.
鹿の王、いいアニメだった。ジブリの千と千尋の神隠し以来、いいアニメ映画だった。
完全に個人的な感想だけど、僕は「君の名は」の新海誠監督とあとサマーウォーズの監督が嫌いだ。描き方にこの監督の性癖が出過ぎてるというか。テーマが低俗というか。とにかくデカくない、それアニメでする必要あった?っていうドラマの延長線上みたいな物語しか描けてない、と思う。
だから鹿の王はすごくよかった。ここではアニメ映画「鹿の王」を見た感想を書きたい。
こういうのでいい!っていうアニメ映画
鹿の王を見て一番思ったのが「そうそう、こういうのでいいんだよ」っていう感想。
アニメ映画に僕が求めているのは非日常感と自然、そして大きすぎてよくわからないテーマ。この3つ。僕の思い伝わって!っていう狭いテーマで監督のオナニーでアニメ作られても、それはジブリなどで感じていた僕の知ってるアニメ映画と違う。
例えばだけどあれだけ国民的なアニメであるトトロ、ラピュタ、ナウシカ、千と千尋、それぞれ何がテーマかって言われたら言葉に詰まると思う。
テーマがどうのじゃなくて、その一秒一秒のアニメ映像自体が楽しい、そういう作品に仕上がってると思う。ただトトロにメイたちが乗るだけでワクワクする。ただパズーの卵焼きのせ食パンが美味しそうに感じる。そこにテーマ性なんて感じさせなくて、ただそのアニメーション自体に魅力がある。それがジブリとその後の新海とかの違い。
アニメ映画でメッセージ性を高めるなら、それもうドラマや実写でやればいい。なぜアニメでそれを描写する必要があったのかわからない。実写じゃ無理な、心ときめくような映像を表現できるからアニメなんだろうと思う。
だから洞窟内で卵焼き食パン食べるのにワクワクするし、ネコバスに乗るメイにワクワクする。
確かに鹿の王はそこまでのワクワクを出せてはなかったけど、それでもアニメじゃないと表現できないアニメ映画であった点で、深海などとは違ってすごくいいアニメだったと思う。さっきから新海って呼んでるけどそれくらい嫌いなんだよな。この新海さんとサマーウォーズの人。
鹿の王のテーマ
さっきはテーマ性を前面に出すな、と言いながら今度は鹿の王のテーマについて書きたい。
ナウシカにもラピュタにも千と千尋にもそりゃテーマはあったと思うけど、そういう部分じゃなくエンターテインメントとしての層が厚いっていうのがジブリのすごい所。層が厚いからあんなにも人を魅了するというか。
これがこの映画のテーマだから、っていう新海とは違う。だから面白くない。お前らのテーマなんて見る側どうでもいい、ただ楽しいかどうかなのに。勘違いしてる。こいつら。だから日本のアニメ映画はジブリ以降低迷してるんだと思う。
鹿の王も残念ながらジブリになりきれているわけではなく、テーマ性を重視してる所がある。
鹿の王は”愛”っていうのをテーマにしているんだろう。まあそのテーマがとても普遍的だからジブリっぽくあれたのかもしれない。なくてもいいテーマともいえる。だいたいの作品で直接的であったり間接的に愛がテーマになってる。
鹿の王の考察
鹿の王の考察をする。
鹿の王で一番不可解なのがなぜバンなのか、という点。
あの草を食んでいた鹿?の乳を飲んでいた人間なんてバン以外にもたくさんいたんじゃないのか、それこそ最初の炭鉱の奴隷たちは子供のころ鹿の乳を飲んで育った人間たちじゃないのか、ならなんで呪いで死んじゃったのか、という疑問。
うーん、この点完全に鹿の王は冒頭の設定で矛盾してるよなと思う。
あの草さえ、それかあの草を食んだ鹿の乳さえ飲んでいたら、呪いにかからないんだから。なにもバンの血を必要とすることすらない。
ただまーそういう細かい部分じゃなくて、バンが愛に目覚める、そのほかのキャラも民族間の憎しみよりも愛の方を向く、っていうのがこの鹿の王のテーマなんだろう。
まとめ
アニメ映画「鹿の王」を見た感想を書いた。
個人的には千と千尋の神隠し以来、アニメ映画を楽しいと思えたいい作品だった。ただこれは新海誠や名前すら確認する気にならないけどサマーウォーズの監督が嫌いだからだろうと思う。
こういうのでいい、っていうアニメ映画がもっと増えてくれればいいなと思う。
【おしらせ、というか完全なる宣伝】
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こんなにも一ミリも目を引かれないタイトルを取り扱ってます: ココア20g / ハイチュウとかってさ / なぜ米と小麦を食べようと思ったのかの謎 /