ラムネグから一言:寝る前に読むとくだらなすぎて逆に寝れると好評なすごい適当なブログをこっちではじめてます.
時々(ごく少数ですが)お問い合わせから聞かれるQooQ(クーク)のネーミング由来について。
くうく堂というテンプレート配布サイト、兼WEBデザイン受注サイトを作って数年。それからとても嬉しい事に最近よく使われているらしいbloggerテンプレートのQooQ。
どちらも利用くださってとてもうれしい限りなのですが、そもそもくうく堂、QooQ、クークってどういう意味なの?っていうのをここらでいっぺん書いておきたいと思います。ここまでみなさんに使っていただけるなんてなんかまったく想定してなかったし、また韓国的なツイートやらサービスに引っかかるのが不思議なので、お問い合わせ云々に限らず一度書いておきたいのです。
捨て犬「クウ」
私が小学生の時、よくある段ボールに子犬が捨てられてることがありました。祭りの日に。「拾ってください」、とマジックで太字の書かれた。
私たち家族はスルーしたのですが、後日、拾ったはいいものの親からダメだと突き付けられた小学生が子犬を抱いて私たちの家を尋ねてきました。
「もしよかったらこの子を育ててくれませんか」と玄関前で必死に懇願する子供を見て、わたしの母はとても心優しい人で断ることができず。そうして、その日から一人家族が増えました。
家に迎え入れた最初の日、体をプルプル震わせながら、不安そうに、段ボールで作った寝床に入っては出てきてを繰り返すクウを鮮明に覚えています。もっともこの時はまだ”クウ”という名前がついていなかったときです。
その時世、「クウ」という名前がなぜか流行っていたので、その後妹が子犬に「クウ」と名付けました。それから新しく家族に増えたクウと一緒に育ってきました。夏の日も冬の日も。エアコンの下で舌をへーへーさせているクウ、そしてファンヒーターの前を一人陣取ってあったかさを独り占めしてるクウ。
それから10数年。クウは治療のかいもなく腎臓の病気で旅立っていきました。最後は病院に運ぼうと抱きかかえた僕の手の中で。息を、引き取った。
なんで、なんで散歩をもっと一緒に行ってあげられなかったんだろう、なんで散歩に行くのを億劫に感じてしまったんだろう、もし、今クウが戻ってきてくれるなら何時間でも散歩したい。足がつぶれてもいい。何時間でも一緒にいたい。仕事なんてどうでもいい。
でももうクウはいない。葬儀の日、どうしようもなくて。なんでもよかった。なんでクウが目をあけないんだろう、なんでこんなに僕はこいつと過ごせる時間を無下にし続けていたんだろう、と。大学の課題とかどうでもよかったのに。なんで、なんでこいつと一緒にいれる時間を優先しなかったんだ。
心にぽっかり穴が開いた時は、何かに没頭するに限る。と思います。だから僕はその日からすぐにくうく堂というサイトを立ち上げました。サイトをいじくる過程で心に開いた穴を埋めていた。夜に何もしてない時間があるとどうしても思いだしちゃうんですよね。
そうしてそれから数年、クウがもういないことに少しずつ心が慣れてきたとき、QooQを製作しました。
bloggerテンプレートを作る技術もTokyoやKyotoでそれなりについていたのもあって、bloggerテンプレートとしてやっぱり最後にクウの名を冠するテンプレートを作りたい、と。まあ、なんかめっちゃがんばって作る最終作的なものに思い入れのある名前を使いたい的な、そんなやつです。
完全な自己満足なんですが、やっぱり僕にとって「クウ」という響きは特別なんです。
あいつが夏の日にへーへーいってる姿も、僕らが食べてるポテチを左手で招き猫してほしがる姿も、シャケごはんをぺろりと食べてしまう姿も、全部が特別です。
だからなんだ、という話なんですが、とにかく言えるのはくうく堂をそしてQooQをこれだけたくさんの人が使ってくれて僕は死ぬほど嬉しい、という事です。QooQ使ってくれて嬉しいなーとやっぱ他のテンプレートよりもちょびっと嬉しかったりします。
…少々重くなりすぎましたが、QooQ自体はフラットに使ってもらえればいいんで、上に書いた有象無象はさっくり捨て去って使ってください。とりあえず重くなりすぎた。それに尽きる。
【おしらせ、というか完全なる宣伝】
文体がもうぜんぜん適当すぎてあれだけどものすごい自由に書いてるブログ「檸檬だくだく」もよろしく.寝る前に読める恐ろしくくだらないやつです.
こんなにも一ミリも目を引かれないタイトルを取り扱ってます: ココア20g / ハイチュウとかってさ / なぜ米と小麦を食べようと思ったのかの謎 /